2009年分


12/25(土)

 散漫な練習をしてしまった。途中で考える気力が失せた。なぜWTであんなに時間を食ってしまったのか。冬期練習で時間がやたら長くなるのは、案外無駄に時間を浪費しているところもあるのだろう。

 高校生の練習を昼間ぼんやり眺めたのだが、「それは本当に今しなければならないものなのか?」という疑問が湧いた。達成感で自己満足に陥らせるのは絶対に避けようと思う。思い出なんか作らせない。

 東田さんの背中の痛みをどうにかしようと思うのですが、どうにも情報が少ない。外部からネタを集めても、「筋肉痛みたいなものです」というものばかりで、これじゃ自分の経験と大差ない。ここは発展的に乗り切らないといけない局面なんですが、どうしたもんでしょう。

 吉本次男は1ヶ月投げ込むだけで53mくらいならすぐ届く。て言うか、投げないといけない時期なのです。

 吉本三男優大、君は年末年始、首挙げ腹筋を1日100回、10kgのものを持って摺り足を延べ100mしてなさい。できたら鉄棒に10秒ぶら下がれるようになれ。

 


12/23(木)

 個人的には、すでに冬期に入っているこの時期、試合の結果は練習過程として捉えるべきだと思っている。だから、結果はまず出ない。吉本次男はそういう意味で、わずかではあるがうれしい誤算である。50m飛んでないけど。ベストでもないけど。絶対的筋力の増加が不可欠な林君の砲丸のベストはまあいいとして、やり2人は、まあ想定範囲内ではあるのだが、難しいところに差し掛かっている気 はする。ラストクロスから無理なく自然にわずかな後傾を作ることを目指している吉本次男、右足の真下接地から左足のブロックを差し込むように着き、体幹の 柔らかさを利用してしなるように後傾を作ることを目指す東田さん。いずれも、今まで考えてなかったことを意識させることで、一時的に消化不良を生じさせてるのは否めない。本当に一時的なのか。教える側が焦って軸のぶれた指導をしてしまわないか。

 で、ここは消化不良上等!ってことで、今年は「んなことどうすればできるんだ」みたいなことを年末まで投入する。

 食いすぎた翌24日朝、本当に体の各所の痛みが嘘みたいに消えて、すこぶる快適
です。馬鹿ボディです。痛風覚悟でもっと肉を普段から食え、ということなのでしょうか。でも1週間前からの偏頭痛と眼精疲労がまったく消えません。


12/18(土)

 競技人生の半分以上は独りで練習して来た。中学の時も含めてだ。節目節目に新たに目を開かせてくれるキーパーソンが出現して、独りの限界を打破する連続であった。正直今でも、なぜあの時褒めてくれたのかわからない局面がたくさんある。多分、他人にしか見えないものというものがある。自分では決してわからないもの。

 今日は東田さんだけです。土曜は猛練習の日です。今週3回は、東田さんの足りないものが極端に出ました。本人には伝えてある(すべてではない)ので詳細省略。ただ、近々伸びるでしょう。なぜ今日そう思ったのか、本人はわからないと思います。しかし間違いなく伸びます。「全然上手くいかない」と自暴自棄にならない限り。


12/14(火)

 東田、吉本両名は、初心者から脱却する正念場である。今、目先にとらわれると、体力だけの永遠の初心者になってしまう。

 でも、基本的に少ないのだ、練習量が。だから、今日はアップもそこそこにいきなり走ってみた(本当は10本予定だったのだが)。投げはストレスのたまる内容だと思う。ほとんどだめ出しだったから。2人には、同じ課題で、異なる方法が与えられている。

同じ課題:上空で水平に突き刺さるやり
異なる方法:
東田さん;腕の空回りをなくすため、左肩甲骨下にはまる感覚を重視し、リリースの瞬間に最大スピードになるように投げる。肩が入って加速すること を優先する。
吉本次男;右足に乗ったときの体幹のわずかな後傾とやりの角度を重視する。体を起こしながら腕も同時に使うことで、体全体を使った大きな振り切り を作る。右足接地から体幹を起こすまでを最優先。

 2人ともクロスの仕方を少し変えるかもしれません。変えます。


12/9(木)

 ずっと思っていること。デフレが悪と言うのなら、収入の9割以上を消費に回すくらいのことをしているはずだ。それが大人としての言行一致というものだろうが。エコポイントなんか使わず、大陸からの安価な輸入品には目もくれず、車は新車で頻繁に買い換えてしかもあまり乗らず、タバコは大量に買ってしかも 吸わず、利子のつかない貯蓄などせずに株を買い、国債買って払い戻しなどまったく期待せず、「金を使ってこそ国力増大」とばかりに浪費しまくって るのだろう?デフレが解消されるように、日々努力してるのだろう??どうなんだ???えぇ!?間違ってるというのなら、どこが間違ってるのかはっきり口に出してみろ。最初だろうが。最初。

 ↑何の暗喩か考えてください。

 投げのモデリングをしまして、そいつを確認するような練習をしました。手応えはありました。フィードバックは、今のところ林君しかできないっぽいです。とてももどかしいです。

 「精一杯、何も考えずにひたすらがむしゃらにしていれば何とかなる」という考え方には「他者依存はなはだしい甘えがある」ということに、頼むから気づいてください。


12/7(火)

 東京ニューハーフマラソンが開催されて、ニューハーフでもないのに参加したマツコ・デラックスが日本最高記録で優勝して、「こんな体でフルマラソ ンなんか完走できるわけないじゃないのよっ」とインタビューで毒づいている、というシュールな夢を見た。ここ半年で一番目醒めのいい夢だった。申し訳ないが、長距離に対する思い入れはこんなものである。

 そろそろ投げを再開します。腕の使い方がライナーに前へ押し出す、という使い方しかできない吉本次男と、体幹が弱く、体幹の起こし回転が何のことかまったくわかっていない東 田さんです。吉本次男はやりを放り投げることしかできない。肩と肘の使い方がうまくないので、やりが刺さりません。多分空中で後半失速するやりです。東田さんは体幹が突っ立ってしまってから腕を振るので、高さが出せません。スピードを上げることで肩が入り、地面からの反動もつけられて、初めて 高さが出せます。しかし、ためが肩でしか作れない。大きなためを作ったままクロスのスピードを上げて、体幹の起こし回転も使いつつ、なおかつ腕をリリースの瞬間まで使う。「すべて」を大きく使うこ の方法に成功した人物は、もしかしたら世界的に見ても日本記録保持者のあの人しかいないかもしれません。現実問題としては、体幹の起こし回転を大きくするために後傾を大きくすることと、クロスのスピードを上げることは、矛盾します。だから、ためを作る方法として、後傾するのではなく、右足の真上に乗りつつ、体幹の右側面軸と左側面軸を作って、その両者の間隔を利用して後傾の 代わりにするわけだ。骨盤を左側から前回転させ、左側面軸を竹竿のようにしならせる。引っ張られる右側面軸は、右足先から右手先まで一本の竿のよ うに弾く。体の右半身は、重力に逆らってとりあえず物を放すための部分。左半身は「前へ」の動き出しを作る部分。吉本次男は、体の右半身ですべてしてしまおうとする。左でリードできないので、右腕の使い方に余裕がなく、振り回しているだけになる。東田さんは、左半身はうまく使えているが右半身が肩から上しかない。そんな感じです。具体的な対策はこれから少しずつ考えていきましょう。

 体幹の起こしがうまいのが西川君で、非利き腕のリードがうまいのが林君。圧倒的に体幹を硬いばねにできるのが菅原さん。足先から手先まで満遍なく大きく使えるのが関本さん。などなど。


12/2(木)

 場合によってはまったくできないことも想定して、早めに来て練習場所やら車の置き場所やらのチェックをしてました。できなかったらやめたろと思って、ジャージじゃない格好で来ました。自分の練習はまったくしないから問題ないです。なのに非難轟々。一緒に走ったり跳んだりしないとか、まあ文句たれます。42歳、現役ではない。タレントで例えると、腰痛がひどいだの中性脂肪が心配だのと言ってるさま〜ずの二人みたいに思ってくれると助かる。

 今日はアスファルトの微妙な坂で走りました。投げを少なくするのは今日まで。1回休みを挟んで、第2週から投げも増やします。このところの練習で東田、吉本の2人が、肩甲骨周りの柔軟性がひどく失われているのが気になります。自覚して注意しながらしないと普通にそうなる のか。難しい。


11/30(火)

 今日は跳びました。跳んだだけでです。

 東田さんはいろいろ自分で気づいてくれるので助かります。

 私がこれまで受けた指導の中で、もっとも理不尽、無意味、低レベルだと思ったものは、「しっかり走れ」である。一歩一歩足をしっかりぐっと踏みしめてしっかり走る、だそうである。腕もだらっと下げず、手のひらは握って。アップのジョグでね。大学に入ってあれほど失望したことはない。「しっかり」はただでさえ主観なのに、運動当事者のものではなく思いっきり第三者のものだ。もちろん聞きませんでした。「一歩一歩足をしっかりぐっと踏みしめて」。ここがだめだ。

 で、2番目に受け入れられないのが、「まっすぐ投げろ」(やり投げ)である。理由は2点ある。

その一。
 まず、「まっすぐ」という言葉の定義をきちんと説明していない。どこに対してまっすぐなのか。投擲物の角度に対してか。保持している手からか。目線か。正中線か。この時点で、この言葉が第三者の主観から語られている気配が濃厚だ。残念すぎる。目線の正面、正中線の延長にやりを投げると、やり自体は実は左に投げられている(右利き)。やりの飛ぶ方向に「まっすぐに」投げるなら、この場合 穂先は左を向いていなければならない。つまりどこかでまっすぐじゃない方向にしなければ、正中線の延長にまっすぐやりが刺さることはありえない。やりを真後ろに構えて、そのまま地面にやりを置くと、体の厚みの分だけ穂先は右を向く(右利き)。だったら、その角度に投げるのが「まっすぐ」 だ。絶対に正面ではない。

その二。
 「まっすぐ」投げるための工夫を説明していない。やりの投動作は左右非対称で、しかも直線運動ではない。だから、あんな長いものをまっすぐ投げるには、単純に「まっすぐ」動いていたらまっすぐ飛 ばない。ここで「まっすぐ」にこだわりすぎると、肩ラインが投げる方向に垂直になるようにしっかり前を向き、押し出すように腕を振ることになる。肘をいく ら伸ばしていても、この投げだと絶対一旦肘を下げる。そして伸ばす。この投げ方は論外だ。曲がった肘を伸ばす局面しか、腕を使っていないからだ。 後ろに構えた意味がまったくない。

 「まっすぐ」投げるための工夫は、直線的に動かない腕よりも、むしろ体幹のイメージのあり方に左右されると思う。たとえば、ドイツに多く見られる投げは、体幹を「しならない大きな筒」のように使う。腕はやりを下から上へ持ち上げるように使っているように見える。

 北欧だと、体幹は「太い鞭」。腕は体幹の延長。腕は前(少し下)へ弾くように使っているように見える。

 日本の伝統的なイメージは、体幹が「硬くて細い板」。ねじれるはずのないものを無理やりねじる。腕は板の末端に引っ付いているさらに細い棒。使っ ているのはねじれている部分だけ。やり投げといえば細い人のイメージがある日本では、多分このようなボディイメージがあるんじゃないかと思う。これだと確かに正面に投げやすいでしょう(細かい説明省く)。でも正解だとは思えない。このボディイメージは決して「鞭」にはなれないし、「筒」 にもなれない。そしてどちらにも勝てない。想像してみても、あちこちが痛くなるようにしか思えない。

 今、自分が考えている体幹イメージは、「ねじればね」です。どちらの向きにもはねかえってくるねじればねなんてないですが。もう少し練る必要があ ります。


11/27(土)

 NHKのアジア大会放送時に時折流れる、coldplayのVIVA LA VIDA(美しき生 命)。日本で流行ったのは2年前。なぜ今頃?

 ウェイトを2時間弱して、負荷の軽い、それでいて決して軽くないメニューを後 半に。いや、軽いか。意外とわかりづらくて、もやもやした練習だったかもしれない。来月から投げにつながりやすい負荷の入れ方をします。垂直方向の、バリス ティック(弾性的)なものを増やします。とりあえず連続ハードルジャンプ は します。投げるためのばね、考えていきます。

 何度も言いますが、私はもう現役ではないので、練習は一緒にはしません。きついの嫌。自分で考えるのは間違いなくきついから。それができなくなったからやめたんだ。


11/25(木)

 帰宅したら海老原さんが日本新で優勝した瞬間を見れた。

 アジア大会を見て、いろいろ考えるわけだが、まあ多角的にいろいろ頭をめぐらす。そこで自分自身について気づいた、思い出したことがある。私は「経営学」が心の底から嫌いだ。興味がないだけでなく、存在自体を忌み嫌っている。

 世の中から抹消しろとは言わないが、ほんのわずかでも耳目をかすってほしくない。マネジメントとか、マーケティングとか、イノベーションとか。日頃不愉快に思うあらゆることのほとんどがこの手の分野に関わっている。本当に胸糞悪いのでもう書かない。

 話が突拍子もないので、詳細を知りたい方は直接訊いて下さい。こちらはすごく機嫌が悪くなると思うが。

 今日も練習は少し投げを離れて体力強化を中心に行っています。中・高生はテストもあることだし、12/2まではこんな感じで大雑把に行きます。こういう練習をしないと気づかないこともあるから。ヒントは随所にちりばめてます。こちらの狙いは、「教える」じゃなくて「気づいてもらう」という点にあります。


11/23(火)

最近のわたくし:
 宮部みゆきを読んで泣く。
 アジア大会女子ハンマーの優勝試技が生放送のBS1で流れず、ダイジェストの地上波で流れたことにがっかりする(どういうつもりだ)。

 砲丸を導入してみたのですが、少し大雑把過ぎるので練り直します。12/2までのあと5回、体にきつい練習をして、12月から投げをまた増やします。この時期、母校から修論・博論の中間発表資料が届くのですが、毎年「経験や勘に頼った指導」を批判し、「現場に還元できる『科学的』知見を得る」 ことが重要、といった旨の論調を目にします。長年疑問に思うのですが、「経験や勘に頼った指導」のどこに問題があるのでしょうか。

 自然科学系の論文を書いたことがある方ならご存知でしょうが、「科学」は、実に保守的です。科学の積み重ねは、多様性を「包括」して陳腐なものになりがちです。なぜスポーツ・身体運動を「科学」にしたがるんだろう。どうしてそんなにシンプルであることが大事なのか。基準・物差しを作りたがるのか。知見を得るのは大事だが、現場に還元できる手段を本当に提供できると思っているのか。このような時にはこんな練習手段、というようなデータベース が作れる(本当に言っている)と、本気で思っているのか。図々しくないか。舐めてないか。あまりにも上から目線で考えてないか。科学と名乗るだけでそんなに偉いのか。

 ならば問う。古代スパルタやギリシャの身体鍛錬方法はなぜわずかしか現代に伝わっていないのか。古代ローマにあれだけ栄えた格闘技の技はなぜほとんど伝わって いない
のか。闘士の名前や報酬はわずかな文献からも見つけることができるのに。写実的に人間を描写するルネサンス期でさえその類の記録が積極的に 行われていないのはなぜか。日本の剣術は、なぜ平和になった江戸以降の、しかも北辰一刀流とかの一部の流派の「型」しか伝わっていないのか。恐るべき強さを誇った二天一流や 無住心剣術は、なぜ技の本体が伝わっていないのか。北宋王朝時に大部分が完成したといわれている中国拳法諸派のそれ以前はどんなものだったのか。日本刀が完成する以前の日本の刀術はいかなるものだったのか。明治以前の日本人の?超人的?な身体操作方法は、なぜ体制が変わるだけでかくも消えてしまったのか。

 存在が記憶され、文献に記録されていながら、なぜ伝わらないのか。伝える努力をしていないのか。それは、残すことができないからではないのか。

 クラシック音楽では17〜18世紀はすでに古典と称される。人間の身体を介在する知見は、もしかしたらいかなる先進的手段を用いても、2〜300年しか残存できないのかと思う最近の私。


11/16(火)

 練習でいろんなことしてます。スピードが上がるとたいていクロスの歩数が増えますが、筋力が上がると多すぎるクロスは余分な間になります。追い追い考えていきます。

 狭いところで身動きするときのコツは、体の中心を軸にコンパクトに動くことです。布団の中で身じろぎするとか、1mもない狭い路地で方向転換するとか、そんなときの動きです。背骨を中心に動くというのは、コンパクトに動くこと以外にたぶん意味はありません。体の中心から中心を失わせること。動くというのはそういうことのような気がします。だから、中心が移動せずに残ったままの「動き」とは、単なる姿勢変化だと思
う。力は生み出せないと思う。

 壁際でシュート動作を矯正して「幻の左」と呼ばれるシュートを身につける、という漫画があったが、なんかいらいらするんだな、その発想。


11/11(木)

 「プロではなくアマチュアで必死に競技を続けることが信じられない」という発言で物議を醸した女子プロゴルファーがいる。その発言が発信されたTV番組終了後の、視聴者からの非難を中心とした反響の大きさに、「敬意を表して、という意味で」と言い訳していた(絶対嘘)。そんな彼女曰く、「いろんなスポーツを幼い頃から試したが、どれも簡単にうまくいって、ゴルフだけがうまくできなかったから、最終的にゴルフを選んだ」のだそうである。

 では問題だ。彼女に最も素養があったのは、果たしでゴルフだったのか?

 自分で言うのもなんですが、練習中、かなりいろんなことを伝えています。ここですべて述べるのがしんどいほどに。練習は冬季モードに突入していますが、ただこなして「疲れた」で終わるのではなく、考えてください。考えなければ、今していることなどただのカロ リー消費です。常に今の自分を否定する。でも明日も明後日も否定し続けるために、今日の自分をねぎらうことも必要ですが。このバランスが微妙だ。

 私は17のときの怪我がきっかけで、陸上競技を長く続けることを決めました。自分の競技スタイルが固まったのはその10年後ですが、その時も現役 続行の危機に瀕する怪我をしています。学問の世界で身を立てたいと思ったのは25のときでしたが(果たせてない)、浪人と大学中退を1回ずつ経験しています。学生時に大学の陸上部で記録の管理をする役職に就くまで、パソコンなど触ったこともないし、正直好きではありませんでした。電磁波をシールドする 厚いコンクリートの壁を本気で蹴ったり殴ったりしながら作業してました。今の私が得意としているものは、以前痛い目にあったことがあるものばかりです。じゃあ痛い目にあったことはすべてその後得意になってるかというと、それは違います。断じて違います。

 思うに、本当に素養のある分野というのは、その類の痛い目に遭遇しないような分野なんじゃないだろうか。だったら、普段当たり前にできていて自覚も何もしていないことに、ものすごい大きな突破口があるかもしれない。

 どうやって気づくんだ?


11/6(土)

 PCに例えて胸の内を語ったせいか、最近うちの機器が片っ端から故障する。今日も帰宅して2時間、原因不明のブルーバックに悩まされた(IDE ケーブルがだめだった)。祟りか。

 11/3は、東田さんも吉本次男も、やりで結果を出したのでした。林l君は力尽きました。西川君は体調不良で帰りました。吉本父は何とシーズンベ ストを出しました。東田さんはこれから次の段階を見据えた練習に変わります。今後の試合はNo調整です(一応試合に出るときは学校に断わりを入れてください。何か書 いてもらわないといけないかも知れないから)。次男は下らない記録を出そうものなら、陸上を辞めさせて3年間1日16時間勉強させて国公立大学医学部に入学させようと企んでいましたが、そんな 地獄を経験することもなさそうです。ただし、結果を聞いた西川君のリアクションは、「50飛ばんかったんや(笑)」でした。すみませんね、自分も含め、やりのメンバーが誰も褒めなくて。目が肥えてるもんで。

 今日から基本、冬季練習です。移行期なんて設定しません。東田さんは体幹の使い方を模索しながらの練習。既存の技術にこだわらず、合うものを探していこうと思います。今思い描いているのは、左足先から始動し始める振り切りでです。地面からしなる棒が生えているような。男子陣は去年と同じのりです。


10/30(土)

 パソコンを覚えたいなら、そのときの最新鋭を使うのが一番手っ取り早い。でも覚え始めるに当たって、初心者用のガイドブックやらを見ながらしても、まあ間違いなくわけがわからなくなるときがある。世間にはパソコンの使 い方の情報など腐るほど飛び交っているのに、「このガイドブックはわかりにくい」だの「この人は教え方が悪い」などと文句ぶうぶうたれる奴は、 99%挫折する。文句たれながらも情報をかき集めて悪戦苦闘する者は次に行く。で、使いもしないのにofficeの使い方にはまったり、何の役に立つのかわからないパソコン検定とかに頑張り始めて、それで満足する人はそこで 止まる。しかしそもそもそれで「パソコン使えます」って恥ずかしいだろう、普通。ある程度慣れると、信者が現れる。「この○○OSはクールで・・・」とか「これからはクラウドこそ云々」とか言い出す輩。ちょっと慣れたくらいで 語りだす輩。気持ち悪い。出来合いのものを使っているだけで語るな。、お前の考えている以上に世界は広いんだ。OSなんていっぱいあるんだ。アル ゴリズムもいっぱいあるんだ。アプリケーションなど多すぎて腐る。じゃあソースコードから自分で全部書く奴が偉いのか?それは思い上がりだ。OSをソースから自力で作り上げた人は歴史上ほんのわずかしかいない。 別に否定はしないが、BASICやC++とかJavaとかを一から学んだところでそのレベルまで到達できるかは、はなはだ疑問だ。htmlじゃ話 にならんな。謙虚になろうじゃないか。できることとできないことを見極めて、せめてハードウェアのちょっとした故障くらいは自分で直そうぜ。いちいちメーカー の保障に頼らずにさ。ハードもソフトも、実は大して金がかかるものじゃないのさ。工夫して、足を運べば、誰も隠してなんかいない。・・・しかしだ、最新の某OSの要求するハードウェアのスペックの高さは、不愉快じゃないか?ひっくい性能で余計なものを付属して売りつけるメー カー製PCに、殺意にも似た破壊欲を感じないか?目新しさを前面に押し出しながら気持ち悪いほど閉鎖的で独善的なメーカーなど、「真似されて追い 抜かれてとっとと負けてしまえ」と思わないか?

 上に書いてること、ITについて書いてるんじゃないです。まあ、文面通りのこと
は思ってますが。ぶっちゃけると、比喩です、比喩。

 今日はさらっと基本をなぞるような練習。今シーズンの最終戦も近いし。しかしだな、基本っていうのは、実はある程度熟練しないと気づかないものが多いわな。改めて気づく、というか。だからですね、学習初期にやることが「基本」かというと、そうじゃないと思うんですね。「基本」を積み重ねて発達する、それも少し焦点がずれてい る気が最近する。ここで教えるにあたって、そこら辺を少し工夫しているつもりではあります。


10/28(木)

 様々な投げが百花繚乱入り乱れる状況を夢見る者としては、自分の嫌いな投げでもそれを100%活かす方法を考えるべきなんだろうな、きっと。

 股関節可動域強化練習のプロトタイプ第2弾を試しました。まだまだ詰め切れてない、練り切れてない。考えが浅い。

 体が動くようになると、いろんなところの自由度が増えすぎて、パフォーマンスが一時的に落ちることがあります。そんな時、動きを制限する、動かないことで対処するやり方が私は嫌いです。動きのつながりを重視するという名目で、目一杯動かないようにするというのは、80%を100%に錯覚させる負の効果しかないと考えています。大体学習全般には順序があって、無駄とわかっていてもしなければならないタイミングがあるんだよ。

 何の話か具体的に聴きたい方は個人的に訊いてください。


10/26(火)

 練習したいときにいつでも練習できる環境でなければ、選手など育たない。そんな恵まれた環境はなかなかないものだが、要は選手が不便に思わなければいいのであって、そう思わせないようにするのが指導者の仕事だ。

 我々はオールウェザーなど30mしか必要ないのだ。

 現役、OB・OG含め、おおむね皆さんいい記録を出してます。ちょっと失敗してから好記録、とか。忙しい10日間を過ごさせていただきました。

 ブロック脚の股関節の可動域を広げる・というのがこの秋の課題です。トレーニングのプロトタイプは今日できました。

 「調整=体が軽くなるようにする」という考え方は間違っています。断言します。だから自分の体の動きをコントロールできなくなるのです。


10/9(土)

 かかとにピンがあるスパイクを入手した東田さんです。7日はその感触に慣れてもらい、今日9日は明日の調整で1時間だけです。で、結局明日は朝一の女子やりだけ見に行きます。


10/5(火)

 一週間の経過。

東田さん:体側の弱さが気になるので手を加えています。体幹のやわらかさを活かしていきたいので是非とも強くする。走らなければ切れが戻らないことも再確認。

林君:腕の振りは体幹のブロック脚側への引き付けが大きな鍵となる。

 最新情報:やっぱり10日は行けないみたいです。何だかな。


9/25(土)

 アジア大会は平穏無事に開催されるのだろうか。

 近畿マスターズを明日に控えた吉本父と、東田さん。東田さんは来週修学旅行です。練習が途切れるので、継続して課題を完成させるような練習はしません。わかりやす言うと、技術練習で新しいことはさせてません。まあそれなりに楽とは思わせない練習にはしましたが。吉本父は、菅原さんの砲丸投げの記録に並々ならぬ対抗意識を燃やしています。さてどうなることでしょう。

 真剣、とはどういうことなのか、最近よく考えます。若い頃〜をしてました、と、恥じることなく言えるようになるには、どうすればいいのか。結果じゃない、と思います。本当に真面目にしてたら、日本選手権に出ても「オリンピックには出れなかったから・・・」と思うようになるし、オリンピックに出たとしても「メダル取れなかったから・・・」と思うだろうし、メダルを取っても「世界記録は出してないし・・・」と思うもんじゃないか。


9/23(木)

 今、晴れた空に月が出てるわけですよ。

朝から恐ろしく慌しかった割には、何でしょうかこの何もできてない感じ。負けた感じ。東田さんを試合に出せなかったのが最大の原因なんですが。自分のするべきことをきちんと果たせてなくて、何て申し訳ないことか。朝から何も食べてないせいでは断じてない。

 林君、完成度のかなり高い70%の投げ。吉本次男、すべては雨のせいにしておこう。菅原さん、砲丸11m70ちょっと、やりは53m78。ちなみに試合中、助言をして下さった方は宮井さんという方です。関本さん、欠場。

 次男と東田さんは試合中、時間を見つけてみっちり練習。追い込みました。東田さんはおそらく今日試合に出てたらそこそこ飛んだと思います。

 今日一日一生懸命過ごしたはずなんだが、今もテンションが急降下している。なぜかな。


9/21(火)

 クロス走をメインに練習をしました。林君と東田さんです。ものすごくきついことはしてませんが、1時間強、2人でするとそれなりの負荷にはなります。でもすべてやりの専門練習なので、こういう時間の使い方は確かにしていない人はまったくしていない。

 23日は全員試合に出ます。男子やりのタイムテーブル次第では、鴻ノ池から橿原に移動して戻ります。電車のほうが早いか。

 パワー系の練習に限らず有酸素系でない運動は、筋を動員するための神経の活性化がまず起こり、筋の発達はその後に起こります。簡単に言うと、慣れるのに時間がかかるのです。身体を劇的に刷新するためには、まず神経の刷新を終えておく必要があります。どんな練習でも反復回数がそこそこ要求されるのはそのためです。その目安がきちんと研究されているとは正直思えません。個人差が顕著であるということと、強度が正確に設定できないということが理由に挙げられます。1回挙上重量(100%)なんて、「これ挙げたら100万やる」て言われたら何ぼでも変わる、という話を昔よく聞きました。人間の潜在能力がかなり高いことは皆がよく知る事実です。ですから、トレーニングの強度の設定は、経験と信念で決まります。

 私は、走・跳・投に限らず、練習は基本10本単位でしますし、人にもさせます。ウェイトトレーニングは1種目挙上100回が目安(およそ15回7セット)。もしくは総重量。セット間のインターバルは完全回復させることはほとんどありません。脈拍で設定することもあります。1種目5本とか3本なんて、今だけだ、今だけ。


9/18(土)

 投擲競技では練習の連投はタブーなんですか、日刊ス○ーツさん?

 吉本次男は1kg円盤を50mほど2回投げてました。

 練習は、関本、東田、西川(敬称略)。結局45分暗くなるまで投げました。

 こんな風に考えています。投げを習得する場合、まず投げの「原型(ファームウェアとでもゲシュタルトとでも)」を身に着ける。これが後の練習を7割決定すると言っても過言ではない。私の考えるやりの「原型」は、助走してクロスして投げる、です。これ以上は分割できないし、省略もできない。立ち投げや1歩クロスからの投げは、断じて「原型」ではない。これらをいくら磨いたところで、いわゆるやり投げに発展することはない。とりあえず、この「原型」を完成度3割くらいまで、始めてから最長2ヶ月で身に着ける。細かいところよりも、全体の流れ・リズムを優先して身につける。それから、全体の分割、部分の洗練化・ブラッシュアップが始まる。これも、全体の流れを損なわず、個々の特性を配慮しつつ、優先順位を見極めながら導入する。中学くらいの若いうちはそこまでで競技が終わることも多い。部分の洗練化が広範囲になり、隅々まで及ぶようになると、今度は分割した部分の再構築、インターフェースの単純化に至る。「○○をこうして〜」とかいった、部分の洗練化で散々考えたことを、考えずにできるようになること。ポイントをシンプルにし、頭をすっきりさせる。多くの競技者はこれらの繰り返しで競技人生を終えるのでしょう。高校生くらいまでなら、砲丸でも6年だろうから、ここまでこれたら充実した競技人生かもしれない。あるときは腰、あるときは肘、そんな感じで修正・洗練化を繰り返し、たまには「原型」にアプローチして、軌道修正する程度の書き換えをするかもしれない。でも、まだ先がある。動きの洗練化、インターフェースの単純化の先にあるものは、動きそのものが意識から離れることだ。日常化が極まって、インターフェースはメタ意識に収められる。「投げる」と思うだけで、後はこれまで鍛えた体がしてくれる。理(ことわり)に忠実に、当の本人さえも予測できないような神懸買った動きを勝手にしてくれる。間寛平の「止まると死ぬんじゃ」みたいに、あるいはジム・キャリーのMaskの「Somebady,stop me.」みたいに。どう動くかわからんので、後は体に訊いてくれとしか言いようのない、それはそれはとても楽しい感じだ。ここで初めて「原型」の根本的なバージョンアップが可能になり、次元がひとつ上がる。で、また分割・洗練・再構築を繰り返す。でも常に理の懐にいる感覚が大事。

 老いて身体の潜在能力が落ちると、このサイクルが早くなるような気がする。記録はたいしたことないが着実に積み重ねられる何か。マスターズはこんな境地を何度も経た人たちでいっぱいなのかもしれない。いや、それは買いかぶりすぎだ。

 こうして完成に近づいた人たちの動きを「理想型」とみなして、それを分割して優先順位もへったくれもなく、とりあえずできそうに思えるものから、中高生に教えている現状がある。「原型」を最初から豪華なものにしようと、よってたかって、基本などと口にしながら、何が理なのかも教えず、消化不良になるのを承知で詰め込んでいく。陸上競技は大半が6年以内でやめてしまう。そんな短期間で、その人の人生に何が残るのか。どんな人間が、6年を超えて理の懐に至るのを目指すようになるのか。中学・高校の試合を見るたびにそんなことを考えます。


9/16(木)

 仕事もなく暇なのでメディシンボールばかり作って、もう置く場所が車内にはありません。

 9/14は菅原さんと林くんようやく初顔合わせでした。東田さんと合わせて計3人のやりは体幹の捻りを強調した練習です。レッグランジ系と、捻り戻し投げ。得手不得手がくっきりして興味深い。菅原さんは23日再デビュー。東田さんは2戦目。吉本親子はこの週末、全員やたら試合まみれですが、誰がいつどの試合に出るのでしょうか。父は全日本マスターズに出るのでしょうか。林君は「ブロック脚をエンジンにする」でおそらく本人に伝わると思います。

 9/16は東田さんだけです。振り切りを強調するために、350gのメディシンボールを壁に当てて跳ね返らせる練習。約50本。保持走をピットで10本。きついか、これ?補強で腕立て伏せをさせてみたら、上腕三頭筋が弱くて、肩でしている傾向があったので、ディップを軽く。弱点発見。容赦しません。

 おぢさんはぷるぷるした二の腕なんかに何の興味もないのだよ。むしろ嫌いだ。スポーツとか抜きにしても嫌いだ。○○の感触に似ている・・・という下世話な話がありますが、絶対嘘。大きな声でもう一度。絶対嘘。ここに脂肪が残っているようでは、ダイエットが成功したとは言ってはいけません。

 次回はサブトラックが使えます。投げますよ。


9/11(土)

 来年の日本インカレが熊本開催ってどうよ。

 念入りにメディシンボールとやりを補修して練習に臨みます。

 東田さんには前回から2種類の突き刺しをしてもらっています。体幹を起こしながら大きな放物線を描くものと、振り切りを強調したライナー性のものと。前者に後者を上乗せして融合していくのが目標。以前より、旧規格やり経験者が「新しいやりになってみんな下手になった」と、口をそろえて語ることに関心があったわけですが、おそらく初心者・導入時にやりを力いっぱいライナーで投げるのが原因のような気がしてなりません。やりが描く放物線にあわせて投げを作り上げていくことが重要ではないかと思います。で、「やりが上に抜ける」という事象を、マイナスに捉えるのではなく、リフトできている力の発揮の方向を投げ方向に転換させるということで、体幹の起こしを重視した突き刺し、ということになるわけです。振り切りは押さえつけるのではなく流れに乗せていくように。

 今まで確信が持てなかったので誰にも話していなかった林君の特徴が、本人との対話の中できれいに整理されました。もはやファームウェアレベルな話になってます。ここで公開するのは控えます。小難しく話しても仕方ないので、たとえますとこんな感じ。こうもりも鳥も共に空を飛べるが、異なる種であるゆえ、こうもりは鳥の動きを、鳥はこうもりの動きを、再現することはできない。さらにわかりにくくなりました。要するに、このことに対する具体的対処がいまだにまったく思いつかんのです。


9/7(火)

 現在9/8、午後10時である。メディシンボールの修理やらで昼間からホームセンターをはしごしたりと、自由人ならではの時間の使い方をしていた。車の中は再び練習用具置き場である。車高が低くなって燃費も悪くなろうというものだ。ちなみにやりの修理はまだ完了していない。明日の午前にする。9/7の練習でやりが破損したので、練習用のやりも購入しなければ・・・と思う。いいのか、いい歳した大人がこんな生活で。

 菅原さんが久々の参加で、林君以外すべて参加(あ、北藪さんいませんね。来てほしいですね)。東田さん参加以降では初めての顔合わせである。て言うか、林君はいまだに菅原さんと顔合わせしてない。遠く異国の地で何を思う、林。東田さんがお土産を熱望してます。で、円盤とやりしかいない現在の投擲陣は、メイン競技場にて芝スタンドを活用するという、何か腑に落ちない活動を9/7から開始することになりました。投げがコントロールスローになってしまいますが、まあまあ競技力が高いメンバーですので、意外と安全にできました。いい練習ができたとは思いますが、多分楽でした。

 9/23も10/10も試合が重なったりでめんどくさいです。でもおそらく関本さんと菅原さんがこの2回の試合のいずれかに出ると思います。楽しみです。


9/4(土)

 中・高の国語の中で、現代文は悲しいくらいに何の役にも立たないと私は断言す
る。理由はひとつ。レベルが低すぎるからだ。受験で点を取るコツは、問題文を深く読まず、設問だけしっかり読むこと。そもそも問題に選ばれた文章がいい文章だとは限らないし、要求される答えも基本的に「差しさわりのない」レベルにとどまっているので、気合を入れて読むべきは実は設問の方。でも所詮その程度なので、現代文で差はつけられないと考えたほうがいい。じゃあどうするか?中学なら口語文法、高校なら古文全般をしっかりやったら、まず間違いなく国語の成績は上がる。暗記しなければならないものを暗記するだけということだ。なぜそれで差がつくのか?暗記しなければならないと50年以上言われ続けているにもかかわらず、暗記しようとしない人間が圧倒的に多いからだ。漢文は受験で出ない学校も多い上に、出展がマニアックになることがほぼないので、好きな人はがんばってという次元にとどまる。・・・というわけだよ、小谷君。

 東田さんが前回いまいちだった上に、今日は学校の練習で少し投げ、少し背中から肩にかけて違和感があるようなので、若干練習を変えました。基本のメディシンボールの重量を下げ、専門練習のメディシンボールもかなり重量を下げ、その後にソフトボールの遠投を入れました。

 ここで問題。なぜそうしたのでしょうか?順を追って考えてもらいましょう。

 前回の練習は良くなかった。どこが?気分が乗ってなかった→それは個人的な問題。25mくらいしか飛ばなかった→目標から見た、事実に対する評価であって、良くなかった本質に迫っていない。上に抜けていた→25mという事実に対する原因で、これが良くなかったことの中心。さらにその原因は?振れていない(かも知れない)→(ここで第3者や指導者の存在が役立つ)私もそう思うので多分それが正解。

 では次回どうするかと考える。上に抜けないために。加えて今日の事情、学校の練習ですでに投げていることと、少し肩に違和感があることを考慮する。

 普段していることは、長期的に取り組んで身に着けておきたい体幹・軸の強化だが、優先順位を振り切りを速くすることに変更する。で、具体的手段が「軽いものを速く動かす」になる。

 しかし、この後でやりを投げたが、案外飛ばなかった。

 上には抜けていないので、目的の半分は達成したと評価する。飛ばなかった原因は何か?助走からスピードが遅いと指摘したら、最近歩数が余ると返って来る。助走・クロス走を欠かさず行うべきか?という仮定を残しつつ、次回の練習に続く。

 ・・・こんなかんじで。肩の違和感は、2kgの重量でインナーマッスル補強をいくつかしてもらいました。

 長期的展望に立ってひたむきに練習するだけでなく、自分の調子を常に把握して対症療法的に自分のすることを工夫することも必要です。

 吉本次男とは僧帽筋は必要なのかという話。


9/2(木)

 結局月曜のJrオリンピック選考まで見たわけですが、この1週間は発見がいくつかありました。全部書くときりがないので抜粋します。

 やりは膝から下で地面を蹴る(押す)と、その間上半身が止まります。結果、振り切れません。特に右足で蹴る傾向がある場合。蹴るたびに体の軸が消失して、接地するたびにまた軸を作り直す、といった按配です。投げるときの軸足の使い方(右利きの場合右足)は、クロス時の接地の仕方がそのまま反映されます。そしてクロス時の接地は、疾走時の接地が反映されます。つまり、軸足のコントロールは、疾走の可否にかかっているのではないかと。極論を言うなら、振り切りを改善するには疾走の改善する必要があるのではないかとも。蹴らず、はねず、振り出さず、巻き込まず、屈伸せず、乗り込む。

 右足接地からリリースまでは1アクション。この過程で肩が入るが、そこで止めてはいけない。肩が入るポイントを強調しすぎると、肩を入れるために体幹を固める動作が現れやすいです。そして、投げが2アクションになってしまう。矯正方法としては、両足同時接地によるノーリバース投げを試す(あくまでも練習で)。いやでも1アクションになるから。実際にこの投げをしている人はなかなかいませんが、もっとも有名なのは旧女子やり世界記録保持者(80m00)P.フェルケ。ブロックする左膝が逆に曲がる。

 利き腕の使い方の矯正として思いついたのがこの方法。フォークの握りは常に100%で振り切らないと、投げが成立しない。このとき少々左に引っ張っても、意外とマイナスにならない。がっつり握って、上腕の回内とか気にせずに、少々強引でもいいから振る。

 んなところです。最初の2つは林君のヒントになってくれることを期待します。3つ目は東田さんに。この握りを選んだ時点であなたの苦行は決まってしまったのです。

 後は、中学のジャベリックスローで、誰に教わったらあんな投げ方になるんだと思いつつ見てたら、女子やりの高校有力選手の円盤投げに似てることに気づいたりとか(この人はオーバースローで投げるのです)。真上から高く振ることを意識しすぎると、動作の最初を目一杯低くしなければならなくなるとか。同じ環境で練習してるとここまで投げが似てくるかとか。「やりを担ぐ」という言葉も指導者によってはずいぶん使われ方が違うとか。

 さて今日は。関本さんは今日も指の皮が剥けつつまあまあ練習をこなしています。状態は相当いいです。吉本次男は砲丸も円盤も無駄に好記録です。だからなぜだ。どの組み合わせがよくて、どれが悪いのかさっぱりわからない。林君はすっかり熟考モード。東田さんは気分のむらが最近目立つ。練習はいつもいいイメージで終わるわけではないんだ。


8/28(土)

 8/18に近畿国立大対抗戦があって、林君55m75。怪我と暑さで2投のみ。紀三井寺は遠くてちょっと気分が萎えそうだったので行ってません。車も置きにくいし。8/20に県ユースがあって、東田さんが27m8位デビュー。意外と敵が多いです。というわけで、半年で最低15m伸ばす壮大な計画がスタートする。8/23に京都・同志社対抗戦があって、林君が57mだったか。3投のみ。太陽ヶ丘は練習に良さそうなところ。で、なぜ塚本がいるんだ?8/26は奈良市記録会。吉本次男この日も試合後の練習のほうがよく飛ぶ。暑いか
らか朝が弱いからかアップ不足だからか。8/28、つまり今日は近畿選手権初日。男子やりと男子円盤。林君58mだが一応セカンドベスト。吉本親子は、次男は本人曰く「普通」。異論はない。父は照準をマスターズに合わせているようでよくわかりません。西川君はぶっちゃけ未完成のまま試合に出たという印象です。しかし今日1日で相変わらず知り合い・後輩に山ほど会った。明日と月曜、とりあえず行きましょうか。

 林君の下半期の修正目標は利き腕の振りの矯正・強化。関本氏と東田さんは試合に出てないので同じメニューをすることが多くなってます。練習の基本は軸作り。登録して試合に出てくれ。東田さんは握りをフォークにしてみたらすごくよくなったので、うまくいけば今季中に35m行くかもしれません。していることは投げ以外ではメディシンボール、クロス走が中心。奇抜なことは特にしてません。吉本次男がたまにやりを投げます。すごいことになってます。

 が、水を差すように来週土曜までしかサブトラックは使えんわけです。林・関本
両名は本人が納得しさえすれば、練習を成立させられます。東田・吉本両名はやりの経験が少ないため、実際に投げる量が減ることは大きな問題となります。正直、吉本次男には華やかなデビューをさせたいので、さあどうしようかな。

 ここには書ききれないほどの大量の情報量が飛び交う2週間。技術的な話は、やりに関しては一人一人まったく別な話をしてるので、めんどくさいから書きません。進学の話もちらほら。こちらは他人のプライベートなことなので書きません。

 自分の知識が古臭くなってきているので、気を抜いてはいけない。


8/14(土)

 8/1に旧帝大7大対抗戦を観に名古屋・瑞穂へ行きました。8/2の中学生の記録会は行かず、8/5の普及部記録会はあまりの暑さに気が遠くなり、8/7 の国体選考は6回投げた自分をねぎらうのが精一杯で、8/8からの近畿中学は和歌山まで見に行ってもよかったんですがおとなしく休んで、8/12の奈良市記録会は結局1日見てました。

 8/1の結果を踏まえまして、林君のアームアクションをいじろうと思います。関本さんは本当、登録してとっとと試合に出てほしいです。今のところ一番順調です。正直グリップを変えるだけでこんなに変化があるとは思ってませんでした。吉本次男は疾風怒濤の如く競技人生が渦巻いています。東田さんは予想以上にいい感じです。でも時間が差し迫っている。

 この1ヶ月、いろんな人が練習に来ています。いろんな相談をされたり、練習方法とか技術的な質問をされたり。何でも訊いて来い。暇だから。

 トレーナビリティという言葉がありまして、そのものずばりtraining+abilityです。練習をこなせる能力。走り込みとか投げ込みとか、その類の練習のクオリティを左右します。やり投げだと、1回の練習あたり20投を高い精度でできるか否か、あたりが目安だと思います。高校生は10投ほどしか持たない人が多いように見えます。だから若いうちは気合で10投以上するわけですが、いつまでも気合じゃだめです。気合とのりは限界を超えて疲れたときに使うものです。やり投げとは突き詰めれば「精度の向上」。投げ出しのラインを張り詰めた糸のように絞り込んでいく作業。細い糸に自分の力を一滴残らずすべて注ぎこむ作業。軽いものを投げるとはそういうことです。


7/15(木)

 仕事をクビになりました。終わりのない夏休みの到来です。というわけで、しばし封印していた塾講師10余年のキャリアもこの際動員しようかと思います。学歴も職歴も履歴書からあふれんばかりの、高校文理全科目対応の私に興味のある方はご一報を。

 で、練習も再開していこうかと。国体選考も出るし。記録は前年度('10年2月)の44m96(かな?)を超えて見せましょう。

 東田さんが高校の陸上部にも所属するそうなので、ここはがっちり練習プランを考えていこうと思います。あぁ、考える時間はたっぷりあるんだ。

 吉本次男は疲労もほぼうまく抜けた感があります。吉本父は最近気合充分です。

 目に映るものすべてが色鮮やかだ。


7/10(土)

 いつの間にかすっごい大所帯になっていたので、メンバー紹介を。

吉本父(公務員・円盤)
吉本次男(中3・円盤、砲丸)
菅原(公務員・やり)
関本(サービス業・やり)
林(大3・やり)
北藪(流通・やり)
東田(高2女子・やり)

 吉本長男とか、たまに来るOB大学生とかOG女子高生とか、遥か長崎の地の佐々木君とかはカウントしてません(←まだ関わりの続いている人たち)。せっかく円盤・やりが投げられるようになっているから、かつて在籍した人たち(女子やり、女子円盤ばかりだ)も戻ってきてほしいものです。

 で、私こと小瀬(運輸・やり)は←仕事の急激な変化に対応しきれず、体調も精神もぼろぼろです。変なことを口走りだしたら寛大な心でねぎらってください。その関係なのか、最近毎回練習後に忘れ物をします。今日はタオルがありません。どこにおいてきたのでしょうか。

 さて、現在のメンバーはかなり競技志向が高いので、私はある野望を抱いています。それは後々明らかになっていくでしょう。


5/13(木)

 今日は誰もいなかったのですが、土曜は私がいません。もしかしたら土曜は新加入者その他の来訪が予想されるので、伝達事項を。倉庫に、女子やり、ジャベリック、5kg砲丸、メディシンボール(4kg弱)、アメフトボール(大)があります。

高い角度で投げ上げるためには、下から上へ力を加える要素がなければ無理で、それは身体後傾だけで達成されるものではない。


5/11(火)

 こっそり試合に出てやろうと思ったが、体調を崩して月曜は点滴を受ける事態に
なっている。

 入会希望者が、スガワラさん(20代半ば?既婚)に続いてもう一人、北藪さん
(二十歳)。

 参加者は吉本次男、林両名を加えた3名。スガワラさんは果たして入ってくれる
のか。今日はメディシンボールと補強。北藪さんは今日は大丈夫だったのでしょうか。

 オーバースローの振り切りは肩ラインが正面を向いてしまうと、聞き手側斜めにしか振れません。つまり、肩関節のソケットを投げる方向に向ける動作をしないと、振り切りはおそらく不可能。体幹を水平に回すか、ねじるように体幹を起こすかしない限り。

 前後の体重移動は「少し詰まってるか?」くらいのほうがスピードロスがなく、結果動きの幅も大きくなっていたりします。それは「詰まっている」という感覚が、その時点で動きつづけている証だからです。


5/1(火)

 投擲は全般的に好スタートを切っております。という一言で久々の更新を総括する手抜き。かつて在籍していた現高校生・大学生もそこそこ元気です。佐々木君も元気です、多分。

 会員さんも増えそうで、男臭さ全開でございます。10代もほとんどいないし。

 具体的な練習内容、練習について思うことなどは追々追加していきます。単に私に余裕がないだけです。とりあえずは次回、県選手権後を乞うご期待。


4/17(土)

 とっくにシーズンは始まってるわけですが、まあ、それなりに、皆さん開幕しております。

 吉本家全員。長男は父親に円盤を教わりに来ました。次男は砲丸と円盤。最近は三男も投げに来ます。砲丸は丹羽コーチが叩き込んでおります。


3/30(火)

 佐々木君、元気でやってるかい。

 吉本親子が絶好調です。父は35m越え、次男は1.75kgで36m、1kgで52mを超えることができました。西川君も自己ベストを更新しての今シーズン終了、林君は怪我が先行していますが、あせらずに行きましょう。吉本次男は丹羽コーチの指導を受けて砲丸にも本格参戦します。

 会員、コーチとも去る人が出る季節です。皆さんにより良い未来が待っていますように。また、この4月からのシーズンに最後を賭ける人たちにも満足な結果が待っていますように。


2/25(木)

 代車の軽自動車はこの暑い日中でもボンネットから煙が出ます。

 3/22に300円払って出ようと思います。今度こそ引退だ記念ということで。多分嘘になるでしょう。

 吉本君と佐々木君。今日は腕と背中のみです。そして佐々木君とは野球の話をして。

 最近なんか投擲というよりも、特殊で独特なものになってます。


2/20(土)

 まず訂正しなければならないことが3つある。

その1.私がデッドリフトで「浮かせた」ことがあるのは300kgである。パワーリフティングではストラップ使用禁止なので、あの人たちと比較して「結構強いじゃん」などと思ってはいけない。

その2.メルロ・ポンティの代表作は『知覚の現象学』、『見えるものと見えないもの』である(両方とも持っている)。現象は記号を得て認識に到る、というやつ。自己の身体が、知覚される対象(現象)であると同時に、認識する自分自身であるという両義性を持つと指摘した人。

その3.暗黙知とはマイケル・ポラニーが提唱した概念。自転車の乗り方などの運動のコツのように、「言葉では説明できないが知っている」こと。言語化された知識を得る以前に暗黙の次元で「知る」というプロセスがあること。伝統芸能の伝承が、技能をカリキュラムとして学ぶのではなく、弟子入りして寝食共にすることを要求され、いつの間にか学ぶことの説明でよく用いられる。ちなみに私は『暗黙地の次元』も持っている。

 なのに何故メルロ・ポンティとマイケル・ポラニーがごちゃごちゃになる?

 最近は佐々木君を痛めつける日々です。股関節と肩甲骨周りの柔軟性が低いのが欠点です。肩周りのほうが深刻でしょうか。ただ、彼には感謝しなければならないことがあって、それは、「腰が抜ける」ことのメカニズムとその対処法を、私に思いつかせてくれたことです。その内容は18日に来た高校生須河さんや、今日来た大学生林君には伝えています。腰から上半身が折れ曲がることのないように腰を締める話です。2人には別々の言葉で伝えてますので、うまく伝わってるか微妙ではありますが。ただ、林君は今日見る限りでは伝わっているように思えます。

 金曜から車検で代車に乗ってます。バブル期の3ナンバーの無駄に大きいセダンです。しかしト○タ販売店の事情で、明日日曜に軽自動車に変更になります。面倒くさい。ここで告知です。火曜日はやりを持って行けないかもしれません。そのつもりで。


1/30(土)

 日本の大学進学率は何と50.2%である。世界レベルでは高くないが、私が進学した'87〜'89(←いろんな事情があったのだ)に比べて2倍。近年の新卒就職難は単純に学生が増えてしまっただけという意見もある(バブル期に比べて12万人多い)。つまり、私が学生の頃と違い、そこらへんにいるおっさんおばさんじいさんばあさん、大卒は多いぞ。だから、この時期大学生が試験やら何やらで忙しいと言おうが、世の中の多くの大人は同情しない。みんな経験済みだから。

 吉本親子、林、佐々木という、珍しく西川以外のメンバー(敬称略)。そういうときに限って東浦父が西川の様子を見に来たりする。

 吉本次男は昼間みっちり練習してきたのでへとへとです。本人は昨日の学校での練習の疲れと言ってます。

 林君と佐々木君で前半は下半身を苛め、後半は精一杯投げてもらいます。技術の話はもっぱら野球の話が中心になってしまいました。でも一番野球歴が短いのは、他ならぬ私なのですが。

 林君の足裏の痛みは、私もたまになるものであることが判明しました。それは爪先接地して爪先で体重移動をするせいです。アップシューズだけで練習するとそうなりやすいです。メディシンボールなんかは踵にピンのあるスパイクを履いてしてもいいんじゃないかとも思います。

 佐々木君、筋力が足りません。


1/28(木)

 歯を抜いてから噛み合わせがしっくり来ないのです。15年前も練習の勘を取り戻すのに1ヶ月くらいかかった覚えがあります。顎上下とも総入れ替えしたい。進路が決まってくる人が出てくる時期です。おめでたいことこの上なしです。おめでとうございます。この不景気のご時世、何が起こるかわからないので詳細は述べません。何事も起こりませんように。

 吉本親子、西川&佐々木。今日はあたたかいので、最近細かい動きで攻めてましたが、久し振りにゆったり動きます。

 佐々木君だけしんどい目に遭ってます。初日は股関節&体側の可動域を大きく。2日目は股関節から体幹の起こしにつなげる。3日目の今日は体幹の捻り、しなりを強調する。新鮮な体の痛みが今宵も貴方を待っている。

 吉本父の円盤が割れました。息子は絶好調と言ってましたが、多分寒くなかっただけでしょう。

 西川君が最近細かい感覚の話をするようになりました。こうなると楽しい。誰も怪我なく平和そのものです。


1/26(火)

 15年ぶりに親知らずを抜きました。普段、口一杯に頬張ってものを食ってることがよくわかりました(子供か)。麻酔が切れて抜歯の翌日に痛みのピークが来るそうですが、今日です。痛いです。どこが痛いかよくわからない。なのにオトガイ孔が痛いとはどういうことだ(どこかは調べてくれ)。痛み止めが切れると精神の安定が失われます。とりあえず泣いとくべきなのか、怒っとくべきなのかなどとわけのわからんことを考えてしまうほどです。大学生にもなって「本音」を「本根」と書くような奴は就職以前に社会に出て来んじゃねぇ、と八つ当たりしたくなります。

 吉本親子、西川君、そして佐々木君。

 吉本君は軽く走る・跳ぶメニューをしてから投げ。なんか、普段の練習は大概きついのに、ここでやる練習で変な疲れをためてるみたいです。それはそれで結構嬉しいものがある。

 西川君はメインにがっちり保持走、クロス走。シーズンを意識した練習内容になってます。

 佐々木君は股関節の柔軟性をメインにした補強。前回でも筋肉痛の佐々木君は、今回やばいのではないでしょうか。でも知ったことじゃないですが(怪我以外は無問題)。

 練習時間、量が多いのは嫌いじゃないんですが、メニューはどこまで多彩であるべきなんでしょうかね?そもそも多彩でなきゃいけないんでしょうか?何か勘違いしてるんじゃないかと思う時があります。よくわからんのですが。


1/23(土)

 オープニングで少し時間があったので、やりの突き刺しをしました。非常に出来が悪いです。腕の振りに対してやりの初速が遅すぎるのです。動作中に力が無駄遣いされてます。たとえば、体力もそこそこあってピッチも早く刻んでいるように見えるのに走るのが遅い人。鋭く踏み切ってるように見えるのに小さなジャンプしかできない人。多分、走るのが遅い人はジョグの時点で、跳べない人はスキップ位のバウンディングで、既に問題点が露呈してると思います。そういう時は効率良くつながるまでスピードを下げてみる。自分の場合、80点の及第点が出るレベルは15mの突き刺しです。泣けてきます。

 吉本君となぜか佐々木君です。その他1名。

 投げは大きな力を発揮できる下肢〜体幹を軽快に動かせたら、上肢をそれに上乗せするような使い方ができるようになります。そうなれば腕は速く動かすことに専念できる。で、

1.股関節の可動域を増やす。
2.体幹を鍛える(背中→体側→腹の優先順位)
3.投げるものに応じて腕の効率的な使い方をする

 これが投擲の練習。意外と軽視されてるのは1です。2の体側もです。

 ところで、自分の動きが効率のロスした下手なものであることを、どうやって自覚すればいいんでしょうか。自覚したとして、上手くなったらどんな感じになるのか、どうすればわかるんでしょう。理屈じゃなくて体感しなければいけない。経験したこともないことを。精一杯一生懸命、で何とかなると思いますか?そんな暢気なこと言ってると、10年かかるぞ。10年経ったら体力が落ちてくるぞ。


1/21(木)

 久々に西川、吉本、林、揃い踏みなわけですが。

 林君の動作モード変更、投球動作後半のみのやり投げ→重さを受け止めて弾くやり投げは果たしてうまくいくのでしょうか。これまでにも肩がいったんリリースされてから構え直しているとか、後方に残しても腕が投げ動作についていかないとか、まあ色々ありましたが、今回のはそこらへんを一気に解消するかも知れないです。イメージはハンドボールのジャンプシュート。具体的には後方支持脚(左利きなので左脚)から力を「上」に。前じゃなくて上。練習法は片手真上投げで、真上じゃなくて85度を目指して投げる。大きく後方に傾いた姿勢からほんの少しだけ真上より前に投げるには、その姿勢から前方 60度くらいに投げるつもりで投げて初めて85度くらい。腕の振り下ろし(振り切りではない)だけでは処理できないので体感を大きく起こさざるを得なくなる。

 吉本君は調子がいいのです。自分の動作を着実にモニターできるようになってます。

 やり投げで利き腕を真上に構えることを強調しすぎると、投げ動作中に肘関節が外に振れる様に迂回します。寸頸のように小さな動作で押し出すような投げのうちは目立ちませんが、やりに力を加える期間が長くなってくると、手先だけを直線的に動かすあまりそのほかの関節が一番「動きやすい」方向に行きます。解剖学的に動きやすい方向です。それらの関節が動くラインは例外なく、投げる方向と同一の直線ではないです。それを何とかしようとするあまり、関節を固めるという対処をします。動くべきものを無理に止める。肘を痛めるとはそういうことだと思います。だから、やりの保持は肩関節の真上か少し外でちょうどいいのです、多分。そもそも腕を真上に上げる(鉄棒にぶら下がったときの位置くらいまで)と、肩甲骨が肋骨沿いに上に回るわけで、その上に回った状態でさらに後ろから前に滑らせるように動かすってことです。無茶です。両手を上げて胸を張ったり背中を広げたりするのは窮屈です。・・・てな話を西川君にしました(少し内容が増えている)。


1/16(土)

 わかっているだろうけど、シーズンまで4ヶ月しかないんだな。5月の半ばにピークを持ってきたいなら、3月は90%に持っていかなきゃいかんわな。だったら、冬季の鍛錬は2月いっぱいまでなんだよ。

 西川君のクロスをいじってます。大股のクロス走を導入しました。軸の意識がないうちから始めると、突っ込む上にリズムがとろくさくなるというデメリットがあるので、軸上にためる感じができてきた今こそしなくてどうする。今回で2回目ですが、ただクロス走をしているだけなのに投げに備えて力を蓄えているように見えてくるこの感じ。いいんじゃないでしょうか。

 吉本親子は第3者から見る分には絶好調です。今日は寒くなかったからでしょうか。


1/9(土)

 完全に月1更新。

 年末は仕事の合間に某所へやりを教えに行って、女子高生に「突き刺し上手いですね」と褒められていい気になって、年を越えたら体調不良で、おなかが痛くて初出勤をわずか30分で早退というぶっちぎりのロケットスタートを切っております。皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 コンスタントに練習に来るのは西川&吉本次男なわけですが、2時間弱という短い時間でほどほどに実験的な、欲張り過ぎない練習をしております。吉本次男はすくすく体がでかくなっております。でも細かい怪我&疲労が多いです。意外と最大筋力が低いです。西川君はこちらの予想以上にフォーム改造がはまって万々歳です。加えるなら、投げ動作のリズムアップをしたいのです。テンポをあげるというか。2人とも今は体を作ります。

 最近思うことがあります。合宿とか強化練習とか、たまに人を集めてする練習がきついのは、単に「慣れてない」だけなんじゃないか。練習を中〜長期展望で考えると、慣れるというのは単にタフになるかならないかのレベルの話で、練習効果というのは慣れてしまってこなすだけではもはや意味がなくなってしまってから、改めて現われてくるものではないのかと。

 もう一つ。やり投げのブロックという概念は、突っ張る者と乗せていく者では意味が正反対になり、期待される動きも変わってくる。「ブロック」という同じ言葉で表現してはいけない次元の違いがあると思うのです。ようやくまとまってきました。かつて自分ができなかった理由も見えてます。

 今日は9日。現役だったら、年末年始にブランクが1週間空いてる不届き者はいないよね。今年に入ってまだ3日しか練習してませんなんて怠け者もいないよね。